日本型ソーシャルワーカーを定義する

北欧やアメリカと違い日本のソーシャルワーカーは治療的な問題の解決を期待されていない。

それは、社会福祉士が医療と関わる何かの資格とされていないことから明らかである。

精神保健福祉士は特例的に治療的に関わる余地を残されているが、そもそもとして社会福祉士精神保健福祉士が分離されていることが世界的に見ればおかしいことなんだと思う。

(どちらもソーシャルワーカーであることは変わらないし、治療的な意味合いを持たないソーシャルワーカーなぞ存在しない。専門分野の違いにすぎないはずであるからである)

 

そう考えると、日本型ソーシャルワーカーというのを定義しないといけない必要性があるように思う。

多分これは日本型といっているが東南アジア型といってももしかしたら差し支えないものなのかもしれない。

 

日本型ソーシャルワーカーの特徴は、あくまで社会調整の能力を期待されていることにある。他に期待されていることはほとんどないといって過言ではない。

派手なソーシャルアクションや精神分析認知行動療法的アプローチより、その人がWellbeingな状態を確保できるよう社会資源や制度を調整する役割を期待されている。

むしろ前者は期待されていないどころかやらないで欲しいと思われている節さえある。

そういった意味では、前者については日本型ソーシャルワーカーの仕事ではなく(国策的にも)、後者についてよりエビデンスを蓄積するべきなのではないかと思う。

前者に取り掛かることについて否定するつもりは全くないが、まずは前段のニーズをくみ取って検証した後でアプローチしたほうがより効率的であると考えられる。

世界的にみれば…みたいな言葉はそれこそソーシャルワーカーには似合わない(ソーシャルワーカーはたぶん、個人を社会における個人と定義しその中での個人のWellbeinを目指す専門職であると考えている)ので、社会の前提が違えばアプローチが違うはずだから、そこら辺をしっかりと考えていかないといけないと思ってはいる。